さくらをみると
数年ぶりに、道場の枝垂れ桜が咲くところをみた。
この時期にヨーロッパに行くことが多くなり、折角の時期を逃していた。
熊野辺りの桜も今週が見ごろだろう。
本宮方面に行くと、山一面に桜が咲いているところもある。
桜を見る度に、つくづく「時期」というものが有り、そこを過ぎると一切気配がない。
私は、武道の稽古を通して、その事が体感できるようになった。
その時期にならなければ、「それ」は出来ないのだと。
時期は過ぎると気配が無くなるが、逆に手前だと、その気配が分かる。
それを逃してはいけない。
どんなことでも「出来そう」な気配があるのだ。
それは決して頭での判断ではない。
生身の身体であれば、その「出来そう」は、逆に頭に情報を送るのだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ