もっともらしく聞こえる言葉

おしゃれな、か?ホテルの一泊目、うるさい、とにかく、うるさい。
これが夏だったら、もっとうるさくなるだろうと思う。
ここは若い人向けやった。

もっともらしい事を言う、と感じてしまう言葉は何だろう。
無意識的、あるいは、癖として定着してしまっている立場だ。
この立場は、いわゆる社会的な立場、というものではない。
自分自身の体験をどう見ているのかという立場だ。

で、もっともらしい言葉と聞こえてしまうのは、本来自分の口から出る言葉ではなく、誰かに、例えば親から、あるいは年長者から言われる言葉だからだ。
「くそ、あのおっさん腹立つねん」
「いや、それは間違っているよ、折角たしなめてくれているのだから、有難く思わなければ駄目だよ。逆に感謝しなさい」
という会話のように、自分の感情があり、それをもっと冷静に考えてみなさい、と先生や親から言われている、そのようなものだ。

で、もっともらしく聞こえる、というのは、自分の部分、ここでは「くそ、あのおっさん腹立つねん」が欠落していて、つまり、自分はそのおっさんに対峙せずに、いきなり先生や親の言葉「感謝しなければ」となっているところだ。
つまり、その言葉は客観的な言葉であって、その人自身の中にある言葉ではない。
自分自身を抜いたところで体験があった、ということなのだ。

これが世間の風潮でもあり、若くしてもっともらしいことを話す人達の精神構造だ。
その客観的な言葉を話せる、ということが、自分が他人よりも優位に立っている、あるいは、カッコ良いだろう、という幼い自意識そのものなのだ。

「くそ、あのおっさん腹立つねん」を持てていないから、きちんと人生を体験している人から見ればガキに見えるのだ。
大事なのは、自分自身の力で「くそ、あのおっさん~」という感情から「そうか」という気付きを経ることだ。
そして、このもっともな言葉は、本来口に出すべき言葉ではない。
「偉そうなことをいう」と恥じるようなものだからだ。

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