秋晴れに想う

一夜明け、快晴の中近くのコンビニへ。

ふと、「自分は一体何をしたいのだろう?」と、何時もの疑問が頭をもたげてきた。

昔「浮き草稼業」という言葉があり、それは水商売の人たちを指していた。
「浮き草か」と思った時、まさにそれだと実感した。
別の角度でいえば、「根無し草」だ。
いわゆる、安住の地、定職を持たないということだ。
それは、どういう意味で使われていたのだろうと、その言葉が使われていた時代に思いを馳せる。

現代なら、自分の家を持ち、起業をし成功する、という幻を人生の王道だとする生き方だろう。
そう考えると、現代にこの言葉を持つと、それは経済至上主義からの脱却を意味する。
もちろん、メディアが垂れ流す情報からの脱却でもある。

安住の地、それは誰しも持っている筈だ。
間違いなく、自分自身である、という一点がその安住の地そのものだ。
自分の外側に価値があるのではなく、あくまでも自分自身がそれを決めているだけだ。
であれば、その安住の地は自分であり、自分の中にある、と決めてしまえば良いだけだ。
そうすると、あらゆる雑多な観念から解放される。

秋晴れが、それを教えてくれたようだ。

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