父の日だそうだが

父の日だという。
残念ながら私は「父」を知らない。
だから何?ではないが、父を体感していないから、きっと何かが育っていないのだろうと思う。
その意味では、母親にも直接育てて貰っていない。
それも含めて、育っていない、つまり、感性に刺激を受けていない部分があるだろうと思う。

ただ、知らない、育てて貰っていない事が、僻みや妬みの気持ちを育んではいない。
いきなり「興味がない」というところに飛んでいたのだ。
例えば、小学校の運動会では、殆どの家族がお昼ご飯を一緒に食べていた。
私は学校が近くということもあり、一人で家に帰りご飯を食べて会場へ行く。
6年間そうだった。
その事が、寂しいとか羨ましいと、他の家族や家庭を思ったことは一度もない。

何かが育まれていないが、何かは育まれたと思う。
それは何かを知りたいとも思わないし、興味もない。
そんなことよりも、私が「今」生きていて行動していること、考えている事の方に興味があるし面白いのだ。

もちろん、私にも両親がいるから生を受け、現在この世に生きている。
その事には感謝だ。
こんな面白い時代に生まれて来ている事自体感謝である。
母が亡くなったのは67歳くらいだったから、親の年齢を超えてしまった。
母の分まで、最後まで遊んでやろうと思う。

父の日に愚息は時々タバコをくれた。
「ありがとう」なのだが。
そうか、そういった親子のやり取りに慣れていない、そこが私の育まれていないところだった。
世の中の「お父さん」お疲れ様です。

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