気持ちの悪い目をした人ばかり
「明鏡塾」には、医師や歯科医師という、いわゆる「医師」から、理学療法士など療法士、そして、看護師や介護士、鍼灸師や整体師という人達が受講している。
また、年齢も性別もバラバラだ。
その人達が同じワークをする。
そうすると、各個人の問題意識や経験に相応した反応が生まれる。
しかし、そういった職種や経験年数を超えた「感性」が、そのワークで育って来るのだ。
その「感性」が、自分自身の技術や職場での考え方などを底上げしていく。
それが「明鏡塾」のやり方だ。
そして、それらは人との「関係」ということを体感していくことになる。
知識として理解するのではなく「体感」である。
ベテランの方は、やはりベテランらしく深いところに気付き、自然と成長していく。
昨日届いた歯科医師の方のレポートに
「今回2か月ぶりに6期生の顔を見て、ずいぶんと変化したことに感動しました。普段中々活き活きした目には合えません。探るような目、値踏みするような目、疑うような眼、ガラスのような眼、が殆どの中、活き活きとした目を見ることは本当に気持ちがいいと、久しぶりに納得しました。声が届いて、患者さんの目の色が変わったときの嬉しさは、説明して同意を得た時とは比べ物になりません」と書かれていた。
もちろん、これは医療従事者とは関係なく、日常を過ごす我々の原点でもある。
「関係」そのものだからだ。
この歯科医師の方が書いている「探るような目、値踏みするような目、疑うような眼、ガラスのような眼」の人は、頭だけしかない人、無意識的に自分だけが正しいと思っている人だ。
それは「他人の話を聞かない」というところに現れている。
「頭だけ」というのは、全てを判断や理解だけで生きている、ということだ。
眼の前の現実、今眼の前で起こっている出来事と、「一緒にいない」「出来事に反応できない」ということでもある。
つまり、目の前の出来事を、それこそスマホで撮っている画像や動画を、現実として生きているということだ。
「生(なま)の感覚が無い」のだ。
そこを以前は「武禅」で徹底的に体感することをやっていたが、ここ「明鏡塾」では必須だとして稽古を重ねているのだ。
この歯科医師の方は、「明鏡塾」を再受講している。
それは、より深くなろうという探究心があるからだ。
それは、間違いなく歯科医師として患者さんに還元されていくし、もちろん、現在でも還元されており、自分そのものが深化していくということでもある。