限りなく不可能に近いのか
「自発的に」あるいは「自主性で」と言葉がある。
それらを実現できるのは、自発性のある人、自主性のある人に限られる。
それらの無い人には、これらを実現することは無理だ。
では、自発的に、あるいは、自主性でという括りは、どういった事で身に付くのか、あるいは、先天的なものなのか?そんな事を考える。
生徒の一人のダンススタジオを経営する女性は、子供たちを送迎する男親で、挨拶をまともにできる人はごく少数だそうだ。
であれば、挨拶をしない親に育てられた子供たちは、きっと挨拶をしないようになるだろう。
と考えると、自主性を壊す親に育てられれば、自主性が無くて当たり前ということになる。
しかし、それは本人の気付きや、疑問を持つことで解消されていかないだろうか。
もちろん、自主性が無いのだから、自分自身に疑問を持つことも無い。
しかし、第三者が指摘すればどうだろう。