信じる?それっているのか?もし

ある人が、終戦時小学生で、その時習っていた教科書を黒く塗りつぶしたそうだ。
それが原因で、信じることが出来なくなったと言う。
もちろん、その人はそうなのだろう。

しかし、信じる必要などあるのだろうか。
何かを信じなければ、生きるという事が成り立たないのだろうか。
人は、あの人は信じられない、あれは信じられない等と「信じる」というレッテルを使う。
私は戦後世代だから、終戦という瞬間やその次期は想像できない。

しかし、それが原因で、信じることが出来なくなったというが、本当にその小学生の時にそうなったのだろうか。
もしなったとしても、それは小学生の頃のことだ。
その人は著書も沢山ある。
それだけ頭が働く人であれば、どんな理由で教科書を塗りつぶしたのかを、改めて考えるべきではないか、と思う。
また、それまでに何を信じていたのかは知らないが、信じていたとするならば、現在でも信じていなければおかしい。
信じるとは、自分が死んでもという覚悟を持って使う言葉だ。
もし、その覚悟を持って使ったとしたら、黒く塗りつぶした理由を見付ける筈だ。
そして、そこであった出来事を、振り返る事ができる筈だ。
信じているのだから。
それを意図も簡単に「何も信じられなくなった」と言葉にするのはおかしい。
「何を言うとんねん」だ。

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