質問を受けるのは即興力の稽古

飲み会、打ち上げ、そんな時、色々な質問がある。
自分に関すること、趣味に関すること、思い付き、口から出ただけ、色々ある。
興味もないのにきく質問もある。
しかし、こう分類しているが、当人にとってはちゃんと質問していると思い込んでいるのだ。
また、雑談の時の流れで質問的になることもある。
分類は出来るが、答えられない質問の方が圧倒的に多い。
答えられないというのは、答えの範囲というか幅がとんでもなく広いのだ。
また、全く私の範疇に無いこともある。
結局、誰と何を話ししているのかが、明確ではないからなのだろうと解釈する。
例えば、ケーキ職人に「家の建て方を教えてください」というような質問だ。
この質問にしても「家の建て方」といっても、それはどんな家なのかが分からない。
教えるというのは、構造を教えるのか、基礎は布基礎にして、というような実際を教えるのか、という具合に、大方は「レッテル」をそのまま自分の言葉として使っているから、聞く側としては戸惑ってしまうのだ。
「どんな武道をしているのですか」という、何時も書くフレーズもそれだ。
自分はどんな武道を知っていて話しているのかが、まず分からない。
だから、どう答えて良いのか分からないのだ。
そう言えば、私自身は他人に質問が出来るようになったのは、50歳位になってからではないかと思う。
もちろん、くだらない話での質問はいくらでもしているし、それが会話の中身だからだ。
「お前、この頃痩せたんと違うか」「いいや、痩せてないで、何でやねん」「いや、そう見えたからや。頬もこけてるし」という具合にくだらない会話は進むからだ。
余程質問というものを絞っていなければ、質問をするというのは失礼だと気付いたからだ。
そして、ドラム等の時のように、質問するまでもなく「見たら分かる」「音を聞いたら分かる」という質問の前段階をきちんと踏んでいるのか、と自問することにしているからだ。
私は、大方の質問には答える。
それは、私自身の即興力を試すチャンスだからだ。

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