説明や解説が出来るということは
世の中には頭の良い人が沢山いる。
そんな人の話を聴くのは楽しい。
しかし、常に思うことがある。
「どうしてそんなに窮屈なのか」だ。
「効率良く」という事が、現代の底辺に流れる価値観だ。
3日で出来る◯◯、に代表されるキャッチは、効率化された〇〇ということだ。
その効率を、色々なところに当てはめる。
そういった事に長けている人を「頭が良い」と思うし、思わされているのだ。
つまり、論理的にまとめられる人の事だ。
一面は正論だから、こういった話は面白い。
しかし、私の引っかかるところは「窮屈」な感じがするところだ。
つまり、その効率良くはどこへ向かっているのか?というところで引っかかるのだ。
例えば、武道には形がある。
それは、自分自身が窮屈になるためにあるものではなく、自由に変化に対応出来るようになる為にあるものだ。
実際に即しているということだ。
効率化された事の行き着く先が見えない場合、それは人工知能やロボットが実現して行くだろうし、効率として説明解説出来るようなことは、全部人工知能の範疇になるからだ。
頭の良い人であれば、ここに気付いている筈なのだが。