京都から熊野へ

京都を終え、熊野へ帰った。
道場修理を急がなくてはならない箇所が、新たに見つかった。
しかし、今回は出来ないのがまどろっこしい。
明日は、京都からフランス人が23人稽古に来るからだ。
明けて正月元旦には東京に移動だ。
4日間撮影が残っている。

今日は「肘」の基本練習を撮った。
といっても、応用から見せる。
つまり、最終地点を見ていなければ、その稽古はどこへ行くのかが不明だから、稽古に工夫を加えられないのだ。

昨日は、京都で全員で食事会。
その席で質問があった。
「胸骨操作を、どう応用すればよいのか」だ。
しばらく考える。
「私はあなたではない、それは分かりますか、分かるのであれば、あなたの中で考えて下さい、小学生ではないのだから」と答えた。

フランスでも、「こうすれば、こうなる」という図式が主流らしい。
「こうしても、こうなるかどうかは分からない」という現実とは、完全に遊離した単細胞的な考え方だ。
もちろん、日本でもその質問は多い。
大きな時間軸で考えた時、人生で何が起こるか分からない。
だから、その起こったことを楽しむ、あるいは、起こった時に、違うことを考える。
それが「楽しい人生」の根源だ。
どうして、レールの上を走りたいのか、また、走れると思えるのか分からない。

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