関係、この生の人間だから
私のワーク・ショップや教室では、「人」という視点、そして「関係」という視点があり、それらの代表的な要素を様々なワークを通して知っていくことが目的だ。
関係の基本は、赤ちゃんの頃の「目付け」だ。
あの射るような真っ直ぐな視線、それは、真っ直ぐな好奇心以外の何物でもない。
もちろん、それは私達大人がいうところの好奇心ではない。
生存の為の好奇心だ。
そして、声。
これも同じだ。
精々、幼児の頃までの声だ。
絶対的な主張だ。
そして、生存がかかっている声だ。
その意味で、決して出来ないことに挑戦しようとするワークではないのだ。
この生命としての人、生物としての人という基本があり、その上に発達した意識が乗っている筈の私達なのだ。
しかし、どこからどう間違ったかは定かではないが、何時の間にか「肥大化した意識」に乗っ取られてしまっている私達なのだ。
だから、これらを学んでも意味がないことだ。
原点回帰をしようということだ。
それがなければ、生の関係など発生しないのだ。
意味としての関係しか起こることは無い。
親と子、兄弟、友達、同僚、上司と部下、取引先、利害関係他、レッテルが貼られるものだけの、つまり、意味としての関係でしかないのだ。
当然、親の虐待もあるだろうし、いじめも起こるだろう。
生の関係が無くなって来ている昨今だからだ。
明日からは岡山ワークショップです。
http://tarkovskii1932.wixsite.com/hino-workshop