難しいと思うようになれば

昨日は、終了後
魚介類の美味しいレストランへ。
ルノさんが皆で行けるようにと、昼間に探してくれたものだ。
金目鯛や諸々の新鮮な魚がたっぷり入ったスープだった。
これはさっぱりしていて、私の口にピッタリだった。
日本でも、これほど食べないだろうと言うくらい食べた。
解散は深夜12時を回っていた。
満腹のお腹を抱えて歩いているうちに、寒気がしてきた。
満腹過ぎたのだ。

朝から、胸骨から肘、肘と体重移動等々、タップリ汗をかいた。
昨晩も肘絡みを徹底的に稽古した。
「これは難しいな、と思うようになったら、それは何かが出来てきている証拠です。そう思えるようになるまで、時間はかかりますよ。今難しいよ、と話しているのは私です。あなた達が『難しい』と思えるまで、稽古を積んで下さいね」というような話をした。

今日の昼も「あれをしたいけど、どうすれば?」という話になった。
いや、自分がしたいと思うのならやればよい。
どうして「どうすれば?」となるのか、それはおかしいでしょう。という話になった。

「したければ、やればよい」どうすればは、その内見つかるものなのだ。
そのどうすればは、自分自身のオリジナルだ。
だから価値がある。
それがたとえ間違っていたとしても価値があることだ。

しかし、どうすれば、と他人に答えを求め、それで出来たとしても、何に一体価値があるのか。
そういった根源的なことを何故考えないのか。
自分と言う人間をないがしろにするにもほどがある。
今から昼寝。

夕方6時30分から稽古だ。

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