自分の力で
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何故方法が必要なのか?
それは、方法が無ければ、自分が「こうしたい」という希望や欲求を実現できないからだ。
では、その「こうしたい」と思ったら即方法を求めれば良いのか。
となると、その場合もあるし、そうでない場合も有るのだ。
即方法といった場合は、自分自身の気持ちや精神の成長を含まないものだ。
例えば、PCの操作を習うとか、プログラムを習得するといったようなことだ。
しかし、精神の成長を含むものとなると、即方法にはならない。
何時も例に出す「力を抜く」という身体操作がある。
それは、何かの局面で「力む」ということだ。
あるいは、常に気持ちが構えていた場合、常に力んでいるといえる。
しかし、それは第三者の視点であり意見だ。
自分自身がその事、何かの局面で力んだり、気持ちが構えていると気付かなければ、そこに方法を持ち込んでも、クリアして行けることは無い。
つまり、まず「こうならない」という問題に直面する必要があるのだ。
そして、そこで自分の力の限界や、発想の限界、思考の限界を体感する必要がある。
単純に言うと、自分は陸上をしているとする。
その中での身体運動的葛藤、人間関係での葛藤他、諸々の葛藤が無いのであれば方法はいらないという事だ。
それらの葛藤があると、そこに方法があれば、その方法も自分自身の希望や欲求への足がかりが出来ることになるのだ。
某テレビで「奇跡のレッスン」という番組がある。
そこに登場する世界的なコーチのアドバイスは、全て共通している。
それは「自分の力で」だ。
当たり前の事だ。
例えば、自分が陸上をしようとして、それに取り組んでいる。やっているのは「自分」以外の何者でもないからだ。