ストレスという考え方

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7月1日。
もう、半年たってしまった。
ほんとに早いな、だ。
今日は母の誕生日だった。
不思議と命日は忘れても、誕生日は覚えている。
あれをしよう、これをしようと思っている間に、手も付けられずに時間が経ってしまう。
やりもしないのに、どうして「これをしよう」と思ってしまうのかだ。
もちろん、これをしようと思ってやっていることも有る。
しかし、きっと生来の怠け者根性というか性根が、それをさせないのだろうと即刻、自己解決してしまう。
一度の人生で、やれることなどたかが知れている。
にも関わらず、あれも、これもとなるのは、意識散漫ということだろう。
良く言えば、好奇心旺盛だと言える。
ベランダに出て煙草を一服吸っている時、ふと「ストレスという概念を持ち込んでいるから、ストレスという症状が生まれるのではないか」と思った。
例えば、我慢をするという考え方がある。
その事によって、精神が強くなる。
「オモチャが欲しい」という気持ちを我慢する、という我慢だ。
その我慢は、ある時「そのオモチャは欲しくない」に変化する事もある。
それは、我慢という時間の中で、自分自身の何かしらの成長が、興味対象を変えた。
あるいは、成長が価値観を変えるということも起こるからだ。
およそこのストレスなる概念はおかしい。
おかしいというのは、当たり前のことだからだ。
何が当たり前かというと、生きているという事は、社会で、ということであり、そうなると、他人と、ということになる。
つまり、自分に対して外からの圧力的なことがあって当たり前ということだ。
これは歴史的に普遍的な事だ。
となると、1000年前にも、現代言われているようなストレスがあり、そのような病状が出ていたのか、ということだ。
色々な切り返しはあるだろうが、実際に自分の手で調べたり、考えたりすることだ。

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