文化が異なるのに

『先生の言葉で「自分がちゃんとすべきことをしていれば、相手は気持ちいいし、それが結果、相手に貢献していることになる」があった。自分は心理学で貢献感こそ最も大切な事と受け取っていたが、それよりも前の段階でもう達成されること…でした。』
これは、「武禅」での「聴く」というワーク後の感想だ。
それぞれが勝手に歌を歌うのだが、そこに「聴く」という作業をいれるだけで、勝手な歌が関係性のある歌に変化してしまうのだ。
その事で、それぞれ全員が味わった事の無い気持ちよさを体感できるのだ。
それを通して、自分の人生で何を大事に生活をしなければならないのかを学ぶのだ。
もちろん、そこに辿り着く2泊3日という時間が必要だが。
その全員の中には、全く聴けていない人もいる。
しかし、そういった人達をも飲み込んでしまうのが関係性の深さ、それを導き出す「聴く」という力だ。
確かに、西洋心理学の言葉は非常に適切だ。
だから、プロアマ、一般の方を含め多くのファンがいるのは頷ける。
先ごろも「嫌われる勇気」なる本が、相当売れたそうだ。
しかし、よく考えれば分かる事だが、適切な言葉だと思えるのは、自分の頭の中が西洋風になっているからにほかならない。
文化が全く異なる人達の、しかも心理なるものの解析を、そのまま自分に持ち込む感性には呆れるほかはない。
そこに違和感を感じ取れないのだろうか。
我々日本人は、どこまで西洋人になりたいのだろうと思う。
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