考えるのではなく、そうすること
来春3月99回目の「武禅」の申し込みを開始しました。
https://www.hino-budo.com/buzen4.html
「あなたは、私の前にはいない」そんな禅問答のような言葉だが、それはどういうことか、を自分として真摯に考える。
つまり、単純には「心、ここにあらず」を前の人に見破られてしまうのだ。
逆に言えば、前に立つ人が「自分だけの世界の中」にいるということだ。
「こう見られたい・こう見られたくない」というような自分だけの世界の中にいるのだ。
そこから脱出しよう。
それが「武禅」の行である。
どれだけ言葉の内容が優れていても、独り言では話にならない。
「あなたは誰に話しているのか?」間違いなく私にではない。
そこを突っ込む。
そこを逆に言えば、自分に真摯に向き合ってくれる人を体感するということでもある。
それが関係の実際だ。
親身な言葉ではなく、相手を体感として手応えを掴むのだ。
ある意味で、動物の持つ感覚を蘇らせるものだ。
もちろん、それを考えたところでどうにもならない。
考えることではなく、「そうすること」だ。
先日、忘年会で内科医との会話で「先生が、アホは病気は治らない。というのはその通りですね」と言っていた。
この場合の「アホ」というのは、学力や俗に言う知能のことではない。
「素直」が否かだ。
では素直とは何か?ということを考えるのではなく、全部飲み込めば良いだけだ。
「そうすること」なのだ。
また、熱気のある時間が来る。