目的は、いるのか?

一つの目的があり、それを達成すると、新しい好奇心が湧いて来る。
目的は達成する為にあるもので、不可能な事を目的として持たない。
もちろん、可能か不可能かという、判断を基に目的はない。
自分の好奇心の果て、興味の果て、そこから湧き上がってくるものだ。
その意味では、好奇心が枯れた時が、人生の終わりだと思っている。
現在68歳、後、倍の時間が欲しいと思っている。
やること、やりたい事が有り過ぎるからだ。
「目的を持ちなさい」と言われると、「目的を持たなければいけない」と思ってしまう。
そこで「どうして目的を持たなければ駄目なのか」とは、大方の人は考えない。
それほど「目的を持つこと」は最もなことなのだ。
そして、目的を説明するのが、まことに理路整然としているからだ。
もちろん、それは、目的を持たなければいけない、という答えを出す為にある理路整然とであって、本質的に理路整然とではない。
いわば、ある答えを誘導したいが為の数字、つまり、データーと同じだ。
そこで、敢えて言おう。
「目的は持つものではなく、湧き上がってくるものだ」と。
だから、湧き上がって来ない人も、当然いるだろう。
それはそれで良いのだ。
目的があるから人生が充実するのではないからだ。
人生の充実も、人によって様々だし、それでなくてはおかしい。
私は、たまたま、「こうしたい」ということがあったから、それが結果として言えば「目的」だっただけだ。
これがしたい、こうしたい、という事が湧き上がって来ない人もいるだろう。
しかし、だからといって人生を止める事は出来ない。
人生を止める事が出来ない、という厳然たる事実があるのだから、その流れに乗っていればよいのだ。
一つ言うならば、「これなら好きだな?」と思える事を見つける為に労力を惜しまないことだ。
もしも、それが見つからなければ、今やっていることを一生懸命にやることだ。
そうすると、何かに興味が湧く事が起こるかもしれないからだ。
しかし、それもないとしたらどうすれば良いのか。
今、生きているということだけを楽しめば良いだけだ。
目的があろうが無かろうが、生末は全員平等に同じだからだ。
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