悲観的が悪いのか?
ポジティブな言葉、ネガティブな言葉。
一体何なんだ?
言葉1つにレッテルを貼ってどうするの?
これらの言葉を聞く度に思うことだ。
もちろん、これらは日本語ではない。
つまり、日本人的考え方ではないということだ。
楽観的な人、悲観的な人というのはある。
また潔癖症の人というのもある。
つまり、ある傾向を持つ「人」はあるが、言葉1つにレッテルを貼り、それに対して何かしらの評価をしたり、評論してどうするのという話だ。
ある傾向というのは、その人の考え方の結果である。
その考え方というのは、殆どが癖であって、考え方と呼べるものではない。
もちろん、明確な考え方を持っている人もいる。
そこが区分け点だろう。
つまり、明確な考え方や方向を持っているのか、持っていないのかが、方向やレベルを決定しているのだろう。
基本的に楽観的な人は、ポジティブというのならポジティブであり、そのような言葉しか持っていない。
逆に悲観的な人というのはネガティブな言葉の使い方しかしない。
しかし、しかし、そういう人がいたら駄目なのかだ。
楽観的な人から悲観的な人を見れば、「何時も辛そう」と見える。
だから「大丈夫?」等と声をかけたり、気遣ったりする。
しかし、悲観的な当人が辛いかどうかは当人しか分からない。
つまり、当人は至って楽観的なのかもしれないのだ。
悲観的と見えているのは、悲観的という色眼鏡、つまり、体験や情報からの先入観で見ているに過ぎないからだ。
人それぞれで現れが違うということを、当てはめられないのだ。