人のセンサーは意志の方向性を捕まえる

人に語りかける、話す。
「人に」だ。
声を出したら良いのではなく、言葉を並べたら良いのではない。
確かにそれでも人には聞こえる。
でも、きちんと選り分けられる人には聞こえない。
選り分けられる人というのは、人を大事にしている人だ。
妻のお父さんは80歳半ば。
耳も遠くなっている。
病院で医者や看護士さん達から、話しかけられても聞き取りにくいという。
だから補聴器の音量を上げる。
それでも聞き取りにくい。
しかし、妻が話しかけると、ちゃんと聞き取れるのだ。
具体的に耳という機能の性ではないことが分かる。
意志がどちらを向いているのか、つまり、誰に話しているのか、誰に話したいのかが明確で、何を伝えたいのかがあるからだ。
ということになると、医者も看護士も話すべきことを持っているし、伝えるべきこともある。
もちろん、誰にというのも明確だ。
しかし、それは客観的にはある、というだけで、その個人が主体的にあるのではない、ということが分かる。
人はどこまで行っても、意志がどちらを向いているのかに対して、センサーが働くように出来ているのだ。
良い声を持っている人は、確かにそれだけで武器だ。
色々と話すテクニックを持っている人も武器だ。
しかし、もしそれだけしかないのなら、つまり、中身が無いのなら、人を大事にしている人には通じないし聞こえないのだ。

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