こんにちはは和みの扉
という中で、明日は沖縄に出発。
年2回になった沖縄ワークショップ。
主催者の幸美先生達の熱いリクエストがあり決まった。
毎回書くように、沖縄のワークショップは、どの地方よりも距離が近い。
あけっぴろげというか、気持ちがオープンというか、ざっくばらんというか、何しろ距離が近い。
その分直ぐに打ち解ける。
人が集団で生きる上での智慧だ。
もちろん、その真逆も有る。
距離が遠い、それは東京だ。
先日も「明鏡塾」の会場で、そこを利用する他の会場の人と、狭い廊下ですれ違った。
その親子は、完全に自分の進行方向だけに注意を向け、私を見ないようにしているのが明らかに分かる。
挨拶もしない、出来ない親に育つ子供も当然そうなる。
30歳代と思われる父、幼稚園児の子供。
その親は、多分私と同年代だろう。
最悪の根源はそこだろう。
かくてますます無機的で繋がりのない社会になっていく。
知らない人に声をかけられたら無視しよう、という親の教育なのだろうが。
知らない人なら知れば良い、「こんにちは」がその扉だ。
もし、自分に害を加えようとする人なら、その「こんにちは」で怯んでしまう。
顔を目をまともに見られたら、やりにくいものだ。
挨拶にはそんな効果もある。
世の中は安易な方向しか指示しない。
それに操られていれば楽で良い。
しかし、そのことで失われる感性の代償は大きい。
「こんにちは」と知らない人に声をかけるのは、慣れていない人にとっては難しい。
しかし、たった1秒ですむ。
練習を積めば、フッと声が出るようになる。
「こんにちは」その挨拶が相手の気持ちを和らげて「こんにちは」と返って来た時、何かが和む。
そこに発生する気持ちの何かが、本来の癒やしだ。
明日からの沖縄が待ち遠しくてたまらない。