その顔には診てもらいたくない

改めて医療現場、そしてそれに携わる人達。
そこをじっくり考えると、それぞれの役目と、役目として必要な技術を取り除くと、そこには日常以上の人と人との関係の大事さが見えてくる。
しかめっ面をした医者、あるいは整体師、あるいは鍼灸師、理学・作業・音楽療法士、看護士や介護士、その他多種多様にいる人達に、身体を病気を、こころを診てもらいたいとは思わない。
もちろん、目も合わせられない、無表情な、無機質な、そんな人にも診てもらいたいとは思わない。
しかし、どこへ行ってもそんな医療関係者が多い。
自分の顔をじっくり観察して欲しい。
その顔の人に病気を相談しようと思うかどうかだ。
そういった人達は、一体何を思ってその道を選んだのか、想像すら出来ない。
もしかしたら、試験に合格したら、そして学校が提供する技術を習得できたら医者であり、人を治療できるとでも思っているのではないかと思う。
もちろん、技術も知識も必要だし、それらは日進月歩、あるいは発見されているから、不勉強では話にならない。
しかし、それは何の為にあるのか。
決して医療従事者として、を最終点にして物事を考えてはいけない。
目の前に座る「人」、自分が介護をする「人」の為に提供するものである。
であれば、まずは「人」だろう。
そして、人としての満面の笑みだろう。
その感情溢れた笑顔がどれだけ患者さんを、「人」救うか。
但し、その満面の笑みは感情的でなければいけない。
人と触れ合える喜びが、笑顔として現れるところの笑顔だ。
それは伝播するものだ。
逆に言えば、その笑顔しか伝播しないのだ。
例えば、目の前の人が不愉快な感じを持っていたら、何かしらの違和感を感じ取れるだろう。
つまり、感情は伝播するということだ。
無機質な人が目の前にいると、気持ち悪くなる。
それが人と人との無意識的な反射状態だ。
つまり、感情は直接「こころに触れ合っている」ということにもなるのだ。
もちろん、それは思ってできること、考えて出来ることではない。
自分自身がそうならなければそうならないことだ。
当たり前のことだが、満面の笑みは意味ではなく、自分自身の現れだということだ。
「明鏡塾」では、こういった「触れる」をテーマに勉強します。
ただいま3期生募集です。
http://meikyojyuku.com/

Follow me!