気持ちよさのレベルは
気持ちというのにもレベルがある。
褒めて貰って「嬉しい」これも気持ちだ。
何かプレゼントを貰って「嬉しい」これも気持ちだ。
だが直接的だ。
つまり、幼年期や思春期の一部の単純な心理状態、育っていない心理状態と同じだ。
もちろん、その「嬉しい」が間違っているということではない。
レベルの話だ。
ヨネさんやアマンシオさんといった、カンパニーの連中との気持ちの交流は直接的ではない。
そこには言葉も物も、何も媒介とはしていない。
いや、むしろ気持ちと気持ちが、何のフィルターも無く直接的に接しているとも言える。
もちろん、それは所謂体感というものではない。
しかし、どこかで響いている。
それは、褒められて嬉しい、という単純なものではないし、嬉しいという言葉や体感ではない。
母が死の間際、最後の言葉が「ありがとう」だった。
これも気持ちだ。
この気持の響きは、私の人生を変えた。
これら2つは後味として哲学が残る。
という具合に、「気持ち」を探っていくと、色々な体感や響きがあることに気付く。
そういったところから、気持ちも成長させなければ、深い気持ちを味わうことは出来ない事が分かる。
「感情を成長させろ」と、皆によく話す。
それこそ同じで単純な感情から複雑な感情、深い感情に至るように、成長させなければ自然とは成長しない。
今週は、半年に一度の特養での研修があるので、明日大阪に行く。
お年寄りにとって快適な看護、介護とは。
紛れも無く、この深い「気持ちよさ」を味わって貰うことだろう。