Balletの為の身体操作8

昨日は、これまでのAmyとの個人的レッスンを踏まえて、Balletの為の基礎的身体操法の公開ワークショップだった。
Ballet大学の生徒や、現役Dancer、Danceの先生等が受講してくれた。
ドイツから3人地元アムステルダムから2人の日本人Dancerも来てくれた。
これは、私のワークを進めやすくしてくれた。
ワークそのものは、日本では何の変哲もない定番のワークだ。
そこからどうBalletに転換するのか、というような展開にした。
言葉での展開ではなく、身体での展開だ。
もちろん、日本でも想像力の豊かな人、あるいは、自分のやっていることを明確に分かっている人達は、私のワークをそのまま使ってくれている。
まず、一番ポジションをとってもらい、その姿勢や感じを記憶。
基本をストレッチに置き、自分たちのやっているストレッチは、やれることをやれる程度にやっているだけで、身体を本当に伸縮させているのではないことを体感させた。
そこから胸骨操作、定番の後ろからの羽交い締め。そして1番ポジションへ戻った。
自分自身の姿勢の違い、また体感の違いに皆驚いていた。
Balletの為の身体操作、という考え方は、西洋にはないということが、今回のワークで分かった。
しかし、それはどういうことなのかは、サッパリ分からないが。
また、カミングハムテクニックの先生が、イメージと言う言葉を多用していたが、では、そのイメージを実体化出来るトレーニングはどうなっているのか、と問うと、その質問自体がどういうことなのかが理解でないようだった。
人は自然に何かが出来るのではない。
そんなことは幼児や生後間もない赤ちゃんを見ていたら誰にでも分かる。
一つの例外もなく、手足をバタバタさせるだけだ。
その状態から、日常生活を滞り無く消化できるようになるのに、早い人で7,8年かかっているだろう。
その間の成長の多くは、両親であったり環境からの情報を受取、それを真似て、ある意味で自然成長しているのだ。
だが、Balletにしろ、イメージを多用するDanceにしろ、それを技術や芸術ということに昇華させる為のトレーニングは、そのものを繰り返しやるだけだ。
それはおかしいと誰も気付かないのだろうか。
確かに、日常生活に支障がないという身体操作や能力は誰にでもある。
そのこととBalletが出来ていくこと、その他様々なスポーツが出来て行くことは、全く違う。
だから、何時も一握りの天才だけしか活躍出来ないのだ。
今日は、ワークショップの後レクチャーの時間がある。
約1時間30分だという。
武道とBalletがどう出会い、どう影響しているのか、についてだ。
「見たら分かるやろ」とはいかないようだ。
いくら話を聞いても、2,3日もかからずに忘れてしまうくせに聞きたがる。
「興味があるから」何と、人を馬鹿にした言葉なのだろうといつも思う。

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