関係を

めぐみちゃんは、沖縄でのワークの違いを楽しんでいた。
沖縄、いや日本では身体と関係、そして表現という3つに分けてワークを進めているが、外国では殆どそれをしない。
身体に絞り込んでやることにしている。
それは、外国の人には、関係の持つ繊細なニュアンスに気付いたり、発見する人が稀だからだ。
「分かった」という返事はするけれど、やらしてみると呑気な組み体操にしかならないからだ。
もちろん、日本でも同じ事は言える。
しかし、稀にいる感覚の優れた人は、こころの具体的な繋がりに、感動という共鳴現象を体感する。
ForsythCompanyにでは、数人がその事を体感し、それを見ているダンサー達が、自分のやっているContactはインチキだと気付いた。
その輪が全員に広がり、Company全体が「本当のことをしたい」となったのだ。
だが、大方はそこまで行かない。
関係された二人は一つに見えるのだが、そのことを感じられない人が殆どだ。
振付としての関係でしかないのに、その事がうまくいくと関係できていると見ているのだ。
それは仕方がない。
どうにもこうにも、その人の持つ感性、そして感性の差だからだ。
沖縄では、若い子達がその関係を体感しているから、異なったものを敏感に見極める。
その意味では、ここケベックと沖縄では雲泥の差がある。
もちろん、ケベックでは初めてのワークなので仕方のないことだ。
今日の頭では、道場主に刀を借りて「武道家」の一端を見て貰った。
そこから「関係」ということ、「意識」ということ「感じる」ということを少しでも感じてくれたら、と思ったからだ。
武道系の若者達は、やはりどこでも同じで、全くその事を理解することは出来ないから、とんでもない方向にいく。
それも仕方がない。
その若者が想像したワークでは無かっただけだ。
一人の振付家と若いダンサーが、なんとは無く「関係」の一旦を体感していた。
笑顔が絶えない。
「関係」はこころからの笑顔が表に出るか嘘か本当かがよく分かるのだ。
「よっしゃ!気持ちいいだろう」
二人は驚いた表情、笑顔で「関係」を楽しんでいた。
夕食を終え、めぐみちゃんは夜の飛行機でトロントに帰った。

Follow me!