中日修了
中日修了。
「感じる」というテーマ、「関係性」というテーマも佳境に入った。
自分の思いと、ワークが一致しない、思っていた事と違う。
もちろん、悪い意味でも良い意味でも。
つまり、常連の人は別にして、初めて来る人は、これらのテーマを安易に考え過ぎだ。
そこで、どういう取り組み方をするのか、というところで、自分自身が自分自身の実力や、思考の偏向性を知ることとなる。
感じ入った人は、追加のワークを申し込んで来れる。
胸骨と肘へのストレッチ、上半身から指先へのストレッチ。
手の平から指への厳密なストレッチは、大方の人は知らない。
そこをやると、指が長くなるし、手の存在感が出る。そ
ういった現象に全員驚き盛り上がった。
手の平合わせで、相手に動かされる。
付いて行く。この辺りは、楽しく時間を過ごせる。
ダメ出しが出にくいからだ。
そして、相手に声を届けるに入る。
そうなると、たちまち空気が硬くなる。
まずは、相手に表現されているかだが、初めての人はよくわからないので、ジャッジが難しいのだ。
当たり前の事だが、日常空気を吸っているように、他人と会話をしそこで何の支障もないからだ。
まさか「あなたは私に話をしていない」とは言わないだろう。
お互いが向かあって話す。
誰が見てもお互いが話しているように見える。
しかし、相手の意志は相手に向かっているのか、を見るようになると、そうではない事が見えてくるようになる。
そうなると、その会話が舞台上でのものなら、スカスカの舞台や芝居に見えるということだ。
だが、大方の日常はスカスカだし、その物語や台詞を見ているだけで、演技を見ていないから、何の疑いも無く見る。
受講する役者やダンサー達は、「こんな筈ではなかった」と頭を抱える。
しかし、そこが入り口だ。
相手に届ける事はできなくても、そのことを知っていて、届けようとする意志が働くだけで、そうとう演技の密度は濃くなる。
不思議なもので、そのワークや稽古自身が終わり、それぞれが感想や雑談を言い合っているのを見ると、自然と相手に届けるようになっている。
「それやで」「えっ」
でも改めてやると出来ない。
そこが楽しい繰り返し地獄の始まりだ。