巨星逝く

28日、ピアノの田中武久さんがお亡くなりになった。
1月10日のセント・ジェームスでのライブは、お知らせしていた通りその田中さんの回復を願ったものだ。
しかし、それが一転追悼ライブに変わってしまった。
29日のお通夜には、田中さんに鍛えられたミュージシャンや、大御所と言われるミュージシャンまで、それこそ一同に介していた。
お通夜の会場には、田中さんのCDが流されており、入り口にはミュージシャンがかたまっていた。
ドラムの東原力哉が私を見付け、抱きついてきた。
その目は腫れ上がり、田中さんと届かぬこころの会話を繰り返していたことを物語っていた。
「日野さん、ほんまに残念や!」
力哉は若い頃、田中さんのトリオに在籍し、お亡くなりになる直前までプレイを共にしてきているから尚更だ。
「日野さん、1月10日は思い切り田中さんを喜ばせて下さいね」
「もちろんや、桜の花が咲く頃コンサートをしようと、言ってくれたのが俺にとって、田中さんの最後の言葉になってしもたから」
田中さんほど、歌うピアノを聞いたことがなかった。
海外の一流ミュージシャンが、こぞって田中さんと演奏したがったのは、この一点だ。
それにダイナミズムとユーモアを兼ね備えているから、誰しも共演したがって当然だ。
秀逸なのが歌の伴奏だ。
サラ・ボーンがフラッとセント・ジェームスに立ち寄り、しばらく田中さんのピアノに耳を傾け、おもむろに「歌わせて欲しい」とマイクをとった。
サラ・ボーンは弾き語りもするので、田中さんがピアノの席を譲ろうとすると、「あなたのピアノで歌いたい」と立て続けに1時間は歌ったという話は語り草になっている。
それくらい世界のミュージシャンに愛された田中さんだ。
正に巨星逝くである。
そんな田中さんのお亡くなりになる直前、どういう訳か私だけを病床に呼んで頂いていた。
奥さんでボーカリストのロコさんにも、色々と声をかけて頂いた。
お通夜の席で、田中さんと対面させて貰った時、ロコさんが「ほら日野さんやで、日野さんが来てくれているんやで」と田中さんの顔を揺すりながら頬を濡らしていた涙は、裸の夫婦の絆そのものだった。
田中さんの御冥福をお祈りします。

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