関係する快感

武道の稽古や、ワークショップで「調和」や「一緒に」という言葉をよく使う。
もちろん、実際はそうではない。
実際は「意識が混ざった状態」ということだ。
そうなると、その言葉や実体が誰にも想像できないから、その言葉を使っても仕方がないから使わないだけだ。
昨日、1月10日ライブの仕込みをするのに、愚息の太鼓衆一気が練習をするスタジオに行った。
メンバーがいたので、「意識が混ざった状態を合奏という」という実際を聴かせてみた。
それは、西洋音楽的な合奏ではない。
西洋音楽的な合奏の場合、それをする為の材料が沢山いる。
つまり、リズムや音程などだ。
しかし、私の身体には、それらがピチっとしていても合奏には聴こえず、違和感だけが聴こえる。
そんな理由から、ジャズから離れて行き、武道の方が分かりやすいのではないかと思い、そちらに移ったのだ。
ここに来て、やっとそれの答えが体現できるようになったので、それをワークショップの核にしている。
「関係性」の事だ。
愚息にベースになるリズムを叩かせ、そこに乗って行くという形で、その西洋音楽的違和感を体感させてみた。
言葉としては「意識が混ざった状態」というのは難解だが、実際には体感できる。
デジタル的に対立した音の組み合わせで生まれる波動に、コード名や様々な音楽的約束、そして合奏という名を付けたのが西洋音楽だ。
それらの約束を全部取っ払って、意識というものの働きに一つの方向性を持たせるだけで、関係性が聴こえ見える。
それが私は日本的だとしているのだ。
もちろん、大変難しい。
それは固定観念の塊が我々だからだ。
スタジオで何度か繰り返したら、以前よりはチームの演奏が合奏に近くなってきた。
それこそが本当の快感だ!

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