最期の言葉
久し振りの大阪教室は、密度濃くやっていた。
緊張する→緩める(但し、任意の部位だけ)の稽古だけで2時間費やした。
一つのことを何となくでも、何かを掴もうとすると相当時間がかかる。
やるしかない。
やり続けるしかない。
何時も最後はそこにいく。
やり続けると簡単に言うが、それが出来ないから出来る人が少ないのだ。
出来ない理由、やらない理由がすぐに頭をのぞかせるからだ。
釘を打つには、釘の頭に玄翁が乗るようにすればよい。
ということは、それが出来るようになったから言葉として言えるのであって、聞いてもその言葉の意味しか理解できない。
チョクチョク書くように、私は説明して欲しいとは思わない。
説明されても出来ないし分からないからだ。
説明を聞く時間が有るなら、自分で考える。
行動しながら考える。
今日は、生徒の一人から達人の話を聞けた。
集中治療室で、看護師がやりこめられていたそうだ。
患者さんは、生徒の父。
そのお父さんは、舌癌をはじめ肺癌に胃癌だ。
生徒がお父さんに「何をしてるんや、自分の病気を分かっているんか」と怒鳴ったそうだ。
お父さんは「アホか、患者が病気を知っていてどないすんねん。病気を治すのは医者やないか」と怒鳴り返されたという。
もっともだ。
確かに病気を知っても、どうすることも出来ない。
それを治療するのは医者だ。
どうも私達は「知りたい病」にかかっているから、何でも知ろうとする。
出来る事しか出来ないにもかかわらず。
お父さんは、ずっと新聞の気にいった記事を切り抜き、スクラップブックにするのが趣味だった。
大量にたまっているという。
病室でも新聞に目を通し、せっせとスクラップブックにしていた。
しかし、病気が病気だけに、結局今年の初旬にお亡くなりになった。
舌癌だから、最期は筆談をしていた。
「お父さん、今何か欲しいものが有るか?」
「…新聞や」
結局この言葉が最後の言葉になったそうだ。
色々な最後の言葉があるが、生きている途中の言葉というのは珍しい。
お父さんにとって死は、本当に日常の一部だったのだろう。
とにかく、最期の最後まで生きていたのだ。