なぜこころが震えるのか

東京ワークショップ
9月12.13.14.15.16日

https://www.hino-budo.com/2014TokyoWS.htm
完全な時差ボケだ、
朝4時に目が覚めてしまった。
どうも東回りは時差ボケがきつい。
今日で少し戻さなければワークショップで睡魔が襲ってくる。
「感じる」ということについて、パリでは松田さん征矢さんと語り合った。
とはいうものの、その「感じる」という事の実態を言葉にすることができないので、話が明確化しないのがまどろっこしい。
もちろん、それぞれ個別に、例えば、冷たい、熱い、涼しい、その他日常的に体感していることは言葉にできる。
しかし、人と人との間での出来事なので、そこは実感していなければ話は見えない。
どうして「感じる」という、日常的なことであるにも関わらず、厄介な代物になるのか。
それは、判断というこれも日常的な癖が感じるという感性を遮るからだ。感じる以前に判断が働くのだ。
もちろん、日常生活はそれでも良いが、こと表現ということになると、残念ながら判断主導の表現では、観客をこころから感動させることが出来ないのだ。
ワークショップの「表現塾」では、関係を一段掘り下げ関係が他人に見える、というレベルに持っていく。
例えば、動物の親子や仲間同士の戯れる様子を見ていて、こころが響かないだろうか。
人間の赤ちゃんが、母親をまじまじと見つめている姿。
意味もなくこころが動かされないだろうか。
それらは判断が作り出したものではない。
感じあっているのだ。
私達は判断優先で生きているにも関わらず、これらの姿に無条件でこころを動かしてしまう。
それは「自然の一部」だからだ。
それをそれこそ人工的なワークをすることで、自然を取り戻すのだ。
もちろん、これは表現と関係のない人にとっても重要なことだ。
当たり前の事だが、社会は全て関係の中で成り立っているからだ。
岡山ワークショップ
9月21.22.23日

http://workshop.digiweb.jp/
昨年に続き、二度目になる大阪での講演会です。
「人生を生き抜く智慧・達人の真髄はコロンブスの卵だ」
笑いますよ!
昨年は、直ぐに定員になってしまいました。お早めに申し込んで下さい。
10月26日

http://ilt.jp/extra01/entry.html

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