思い込みは感覚を鈍らせる

東京ワークショップ
9月12.13.14.15.16日

https://www.hino-budo.com/2014TokyoWS.htm
「感じる」という最も主観的なことが、私のワークの中心にある。
「感じる」は、恐ろしく個人差がある。
例えば「痛い」という事に関しても、ある人に取っては痛くなくても、ある人には痛いという違いがある。
それを乗り越えて、感覚を成長させようというのだ。
例えば、胸骨操作という基本的な動きでも、ある人は精一杯して「動いた」と思うが、ある人はわずかしか動いていないのに「動いた」と感じている。
そんな違いも沢山ある。
何年か前のワークショップで「腕をねじられる」をやった時、ある女性が「痛い」と言った。
私が「ほんとに?」と聞いた。
何を聞いているの?という顔で「ほんとです」とその女性は答えた。
「では、ちゃんとどこが痛いのかを確かめて欲しい」と言うと、「あれっ、痛くない」となった事がある。
つまり、自分の思い込みが痛みを作り出している場合もあるということだ。
それくらいあやふやなのが感覚だ。
それをあやふやでは無い様にする。
でないと再現性が無いということだし、思い込みや気分に左右されてしまうからだ。
つまり、感覚を自分の能力の一つとして使えないということだ。
「相手の手を握り、引っ張って歩く」というワークの時、相手は引っ張る人と一緒に動く。
それが稽古だ。
引っ張る側は、一緒ではないという感覚をどんどん磨いて行く。
そうすると、相手は一歩も動けなくなる。
感覚は、身体にとって生命体にとって、一番大事な働きだ。
それを開発するのだが、先程の自分の気分や趣向、思い込みという雑念がそれを阻止する。
それが自分を引き出させない原因だ。
そんな自分に気付き、思い込みや雑念に振り回される自分を解放させていく。
そうすることで、からだの能力が引き出されるのだ。
先日の「武禅」でのレポートをアップしました。
https://www.hino-budo.com/buzen5.html
岡山ワークショップ
9月21.22.23日

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