身体の技

沖縄ワークショップ
7月25.26.27日
http://teedasmile.exblog.jp/19926879/
同じ動作を正確に繰り返し出来る。
それは楽器演奏では当たり前のことだ。
ドラムの練習をしていて、同じ音が同じリズムで繰り返される様に練習する。
それが出来てくると、身体の不自由さというか窮屈さを感じ取れるようになる。
そうすると、身体をどう動かせば、その窮屈さが無くなるかに視点が移る。
それが発見出来る様になると、音が変化し出す。
これらは私にとっては、当たり前のこととしてある。
だから、武道といっても、そういった視点から考えて行くことになる。
武道という幻想ではなく、そこで繰り広げられる実際から考えて行くのだ。
そして、自分の都合の良い条件をどんどん排除していくようにする。
先日書いた「相手を掴む」という稽古は、そんな視点から生まれたものだ。
掴まれる側、掴む側、それぞれがどんな動きをするのか、という以前に「違和感を感じ取れる」という感覚を研ぎ澄ますことを主眼として稽古をするのだ。
もちろん、そんなことは武道の技でもなんでもない。
ただ身体の技である事は確かだ。
身体の技ということになると、それの応用範囲は自分の生活そのものにまで広がる。
そこには普遍性があるからだ。
私は常にそこにしか視点が向かない。
だから、私のyoutube動画を見て、俗にいう武道的な技として、色々な批判の言葉が並ぶ時がある。
それはそうだろうと批判の言葉を見て思う。
しかし、私は俗にいう武道の技には、全く興味がないので仕方が無い。
それよりも、つまり技以前に、「違和感を感じる」という感性を磨く事に興味があるし、そこを突破出来なければ、それこそ武道の技にはならないのだ。
もちろん、それは「身体塾」という切り口で行う、身体の正確な動きを作り出す、であり、全身をストレッチさせる事で繋げる、つまり、ほんとの意味での全身運動を作り出す。
そのことを感覚として身体に記憶させて行く。
といったことと同じだ。
それぞれのジャンルの形式以前に、まず身体で起こる刺激を感覚として捉える、それが自分自身と身体との接点だからだ。
「武禅」では、意識を接点として、深い関係性を獲得するのと同じで、ワークショップでは感覚を接点として、自分と身体を繋げていくのだ。
東京ワークショップ
9月12.13.14.15.16日
https://www.hino-budo.com/2014TokyoWS.htm
岡山ワークショップ
9月21.22.23日

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