コツはある
2014福岡ワークショップ
6月20,21,22日(金・土・日)
http://rbchinoriron.web.fc2.com/workshop.html
毎年福岡のワークショップ時は、海外のダンスカンパニーの夏休みと重なる。
そんなかげんで、海外で活躍する九州や中国地方の人が参加してくれる。
一昨年はオランダを拠点として活躍するケンゾー君も来ていた。
彼とは、今年4月のオランダでのワークショップに来てくれていた。
久しぶりに、ケンゾー君のユニークな頭の回転で大笑いした。
ケンゾー君をはじめ、エミーやマーツ達にバレエのレッスンをした後、お茶でも飲もうということで外に出た。
「カフェはこのあたりにないのかな」
「カフェは駅前の方が多いですよ」
「フーンそうなんや」
「あの中心街に集まってます」
「•••一寸待て、それってもしかして、あのカフェの事か」
「えっ、違いました」
「違うよ、ほんまにコーヒーや」
選択するというのは、人生全てのことだ。
学校から職業など様々な場面でもある。
自分が何をするのか、それらの大半は自分が選択している。
もちろん、自分はこれだと思って選択するのだが、その事に全く向いていないこともある。
対象のものからは選ばれていないのだ。
それと、自分を知らないか、自分を誤解、あるいは錯覚しているからだ。
という自分を知らなければ、逆恨みという幼稚な自意識が自分を混乱させる。
「~したい」とは、誰でも思うし思うのは自由だ。
しかし、そのことと「出来る」は全く別物だ。
にもかかわらず、「~したい」は「出来る」だと思い込んでいる人が多い。
これは自分自身を不幸にする種だ。
「~したい」と思うのは自由だから、それに取り組めば良いし、取り組むべきだ。
しかし、「見切る」ということも大事なのだ。
つまり、自分がそのことに「向いていない」あるいは「向いている」という見切りだ。
この見切りには客観的判断が必要だ。
その事に取り組み、取り組んでいる時間の中で出来ない事を楽しめているのか、あるいは、出来ない事に無頓着なのかだ。
もちろん、この意見は体験者の意見だから、当事者には分からない。
しかし、体感覚が教えてくれる。
「向いている・向いていない」ことを。
この体感覚に注意を向ける事が出来るのは、自分の思いに熱中していなければ、誰でも出来る。
しかし、大方の人は自分の思いに熱中するから、そういった事が感じられないのだ。
自分の思いに熱中するのではなく、頭を空っぽにしてその事に熱中しよう。
ワークショップや教室でも同じだ。
自分の思いに熱中している人は、何かが出来ていくことはない。
その事に熱中する、それが物事を獲得する奥義だ。