一緒に動く
4月28.29.30.5月1日京都ワークショップ
詳しくは
https://www.hino-budo.com/2014KyotoWS.htm
後ろから、両二の腕を掴んでもらう。
後ろの人が、ゆっくりと動かす。
その動きに同調する。
あるいは、ついていく。
これは関係塾のワークだ。
後ろの人が乱暴に動かすと、前の人はついていけない。
しかし、最も大事なことは、後ろの人が前の人を感じ取っているか否かだ。
感じ取る、というのは漠然としていて分からない人も多い。
分からないのは、「感じ取る」という言葉を考えてしまうからだ。
感じ取るというのは、文字通り感じることなので、その言葉を考えることではない。
前の人の何を感じ取れば良いのか、と考える人もいる。
人を感じ取る。
それは、その人の雰囲気であったり、印象であったりだ。
しかし、何を感じ取れば良いのか、となると、そういった言葉は飛んでしまい、もう少し物理的な方向に行く。
もちろん、それが分かりやすいし見えているからだ。
であれば、体温であったり、肉厚であったりその柔硬だったりを、感じ取るように指示を出す。
そうすると、前の人が動きやすくなる。
それは、後ろの人の意思が前の人に向いたから、前の人は無意識的に後ろの人の意思を感じ取っているからだ。
もちろん、その物理的なことが終点ではない。
入り口だ。
意思を向ける、それは何かしらの積極的な働きがあること。
それを知る入り口なのだ。
後ろの人が指示を出すユッタリとした動き。
しかし、今度は逆に後ろの人から前の人を観察すると、いくらゆったりした動きでも、付いてきてくれないことに気付く。
一緒に動くというのは、後ろの人がまるで自分だけが動いているように、感じることなのだ。
前の人は後ろの人の指示通りに動かなければならないのだが、それが意外と難しいのだ。
それは、後ろの人を予測したり、自分の動きやすい動きに変換してしまうからだ。
それが大きな意味でのクセだ。
それとの葛藤が、このワークのもう一つの目的でもある。
人は他人のいう事を聞けないのだ。
ではどうするのか?