人は自分の成長を気付く
忘年会で、それぞれがこの1年を振り返り、成長した何か、気付いた何かを披露した。
それぞれが、それぞれに何かしらの手応えを語った。
中でも、スーパーの副店長O君が、クリスマスのローストビーフをスライスしなければならなかった。
丁寧に包丁を動かしても、切り口が汚い。
その時、「感じる」を思い出し、肉を包丁を通して感じ、その感じを維持しながら包丁を進めると、まるでレストランのシェフがスライスしたような、きれいな切り口になったという。
調理場で作業をする人達が「どうしたんや」と、皆不思議がったそうだ。
それこそ「正面向かい合い」の実際だ。
きれいにスライスされた、ローストビーフは跡形も無く売り切れたそうだ。
また、肘当て六法を一人で稽古していた時、「きちんとやれば身体が自動的に動く」を体感したとK君。
だから初心者に必要な型だ、と型の意味を身体から学んだ。
この1年と限定した時、50歳を超えている女性が「この歳になって、身長が伸びました」と、思いもかけない身体の変化を発表。
みんなから大歓声を浴びていた。
武道を共に学んでいる仲間が、直接的なことではなく、日常生活での変化や成長を見出してくれているのは本当に嬉しい。
直接的ではないことに影響した、というのは、武道と真摯に向き合っているからだ。
オタクの極めつけのような武道が、日常やスポーツに役立っていく。
そういった事は、ヨーロッパでも起こっている。
人は何かを媒介としなければ、自分自身も他人も見えることは無い。
ただただお茶を飲んで、駄弁っているだけでは、その人の一部しか見えないし、自分を見ることは出来ない。
人という複雑で高度な仕組みを持つ生物は、それに見合った高度なことに取り組まなければ、全容は見えてこないのだ。