アドバイスほど難しいものはない
長い時は半年ほど、何も言わない。
というのは、教室での話だ。何も出来ない、知らない人に、百万言言葉を尽くしても、身体としてどうにかなることはないからだ。
半年ほど見ていて、身体に対しての認識もそこそこ出来、武道と言うことでの考え方も、少しは理解したのが、教室での動きから見えた時、アドバイスをしだす。
それまでは、「とにかくやれ」しか仕方がないのだ。
それが理解出来ない人は、巷にいくらでもある道場や教室に行けばいい。
選択の自由だ。
それは「武禅」でも同じだ。
質問に対しては答えるが、ほんとは言葉で提示しても真意は理解出来ない。
だから、手本として示す。
それを見て、どう取り組むのかが、紛れも無く実力だ。
武道の場合でも武禅の場合でも同じで、ここの能力を育てるのが目的だ。
何も出来ない人に、「ここはこう」と言っても出来る筈も無い。
そんなアドバイスしかできない人のことを、「何も見えていない」というのだ。
正論や正解としての言葉など、誰にでも言える。
そうではなく、その人にとって、アドバイスになる言葉を言えるのが大事なのだ。
と書きつつ、ふと海外の小学生教育の現場を思い出した。
もちろん、全てということではない。
例えば、世界的な音楽家を招いての音楽会、プロアスリートの指導等々、とにかく、何も分からない時こそ、本当に素晴らしい世界を体感させる必要があるのだ。
と、考えると、初心者にどう稽古すべきかを、身を持って提示できる人でなければ、指導者には不向きだということだ。
教室で自論を展開し、それをアドバイスだと思っている人もいる。
もちろん、どの人の話が本筋なのかを、見分けるのも稽古ではある。
89回目の「武禅」レポートをアップしました。
https://www.hino-budo.com/buzen5.html