ゼロから始めて見る
「武道家が語る人間関係の極意」
久しぶりの講演会です。
近畿地方の方は、是非お出かけください。
会場の都合で、早めにお申し込み下さい。
http://ilt.jp/extra01/entry.html
製材所での話は続く。
今、一寸した現場が有り、工務店が三つほど入っているそうだ。
そこに同じ材料を均等に運ぶ。
若い人で作っている工務店からは、何時も材料のクレームが来るという。
その度に毎回現場に行く。
自分達のところに来ている材料は、他の工務店のよりも悪いというのだ。
そんな筈は無いと、材料を吟味する。
結局のところ、0.1~0.2mmくらいの誤差のある材料や、節がある材料をどう使い回したら良いのかを知らないのだ。
他の二つの工務店の大工さんに、その工務店のことを言うと「腕が悪いだけや」と一括。
コンパネを貼ったり、規格品をホッチキスで留めるだけの仕事をしていると、そういった材料を使わない、つまり、普通の住宅を建てる技術を学べることは無い。
しかし、注文が入ると仕事を取る。
そうなると、材料の性にするしかないのだ。
しかし、大工さん等の職人さんになる若い人が増えているという。
ものを作る、というのは、一生続けられる良い仕事だし、自分自身のものの考え方を作ってくれるものでもある。
書類をこねくり回したり、言葉をこねくり回す仕事ではなく、具体的なものを作るというのは、色々な意味で一生ものだ。
それは、私が自分の道場を建てたことで気付いたことだ。
ゼロから生み出していく面白さは、何にも変えがたいものだ。
与えられたものを組み立てる、というのではなく、全部自分で作る、という作業を、一生に一回でもやってみるにこしたことは無い。
その事が、自分自身の実力を計る物差しになるからだ。
棚でも、犬小屋でも、一寸したものを、DIYで揃えるのではなく、材木屋で調達し、材料も作るのだ。
「何をどうしていいのか分からない」ここがスタートだ。