自分を壊したら駄目

「武道家が語る人間関係の極意」
久しぶりの講演会です。
近畿地方の方は、是非お出かけください。
会場の都合で、早めにお申し込み下さい。
http://ilt.jp/extra01/entry.html

宿題が一杯詰まった教室、という言い表し方が実は適切だろう。
その場で「出来た、出来ない」という、自分にとってのカルチャーセンターのようなものではないということだ。
自分自身には、これが足りなかった、これに対する考え方が間違っていた、ということに気付く。
それが「武禅」だ。
この「出来た、出来ない」と「自分に気付く」ということの間には、それこそ地球と太陽程の溝がある。
もちろん、この「出来た、出来ない」という考え方は、殆どの人が持っている。
最初から「出来ても、出来なくてもどっちでもいいから、とにかく全力でやってみよう」という考え方を持っている人は少ない。
その「全力でやる」というところが、自分に気付くということの入り口だ。
しかし、現実には「これをやったらこうなる」という、有り得ない保証がなければ、やらない人が多いから、「何が何でも全力で」とはならないのだ。
また、指示されなければ出来ない人、指示されたことしか分からない人が多い。
もちろん、それは単純に想像力不足だし、自分の力で考える、ということをやった事の無い人だ。
私の住む山奥でも、同じ話を聞く。
「田辺で働いていて、会社を辞め転職してくる人もいるが、言われた事を自分で考えるということをしないから、仕事にならない。そんな人が沢山いる会社だったら、壊れて当たり前や」と昨日も聞いた。
自分の力で考える。
当たり前の事だが、当たり前では無い人が増えている。
もちろん、それには当人は気付かない。
だから、そんな人が「武禅」に来ても、実際に自分が感動していても、そのことを自分の喜びには繋げることは出来ない。
だから、単発で終わる。
「出来なかった、分からなかった」と。
自分を自分が壊しているのだが。

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