目指すものがあるから

子供の頃、家計に余裕のある家庭は、子供に習い事をさせていた。
ピアノ、習字、バレエ、他だ。
今では、それ等もあるだろうが、塾や早期幼児教育が多いのではないだろうか。
子供の頃、学校ではない何か、しかも年齢幅が大きな集団の中に、身を置かせるのは良いことだ。
そういった、子供の頃の習い事が高じて、そのままその道に進む人も少なくない。
それは良い事だろうと思う。
しかし、問題もある。
子供の頃からの習い事で、別段好きという訳ではないが、そこそこ出来てしまって、そこに居場所を持った人だ。
好きではないが、人並み以上に出来る。
いわゆる、器用な人だ。
もちろん、それは凄い才能だから、それ自体は悪くはない。
ただ、自分が全エネルギーを注ぎ込めるくらい好きなことではないから、好奇心も生まれてこないし育たない。
しかし、周りの大人は「才能がある」と思ってしまって、その方向に進めてしまうことがある。
多くの若いダンサー達を見てきたが、指示されたことは出来るが、好奇心が無いという感じの人達が多い。
好奇心が無いというのは、自分はどの方向に向かって歩けば良いのかを、自分で決定できないということだ。
そういう子達に限って練習熱心だ。
若い人に聞くセリフが「一番好きなダンサーは誰?どんなダンスをしたいの、どんなダンサーになりたいの?」だ。
そのダンサーのところに、役者も入れば医者も、教師も、格闘技も、とにかく大学生や、現役間も無い若い人達に聞いてみる。
そうすると、それに答えられない。
しかし、見事に自分なりの幼稚なダンス論や、演劇、教師論を展開する。
しかし、それは学校で教えてもらったものだ。
あるいは、覚えたものであって、自分のものではない。
それに気付く感性すら育っていないのだ。
この功罪は多きい。
その姿から、「これが好き」がまるで見えない。
それでは、自分の好奇心が働いていないのだから、自分の力で成長することなど出来ない。
なまじっか、器用な人は気を付けた方が良い。
ほんとに、自分の好奇心がそれを選んでいるのか?と。

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