フィギュアースケート

男子フィギァスケート。
羽生選手がショートでトップに躍り出た。
高橋選手は2位。
このフィギァは目を養うという点で、非常に勉強になる。
技術ということと表現ということ。
この二重構造が、明確に見えるからだ。
もちろん、それはスケートそのものが、技術を要求しているからだ。
表現ということでは、自意識のレベルが同時に見える。
「何か勘違いしているのでは」
と思わせる選手も沢山いるからだ。
その意味で、高橋選手の演技は秀逸だ。
どんどん表現に磨きがかかり、スケートをしているとは思えない程だ。
羽生選手の表現は、まだそこには辿り着いていない。
しかし、安定した技術は、見るものの目を奪う。
ある言い方をすれば、現時点ではこの二人は別物だ。
羽生選手が、高橋選手のようなセンスを持ち合わせているのかどうかは、後3.4年しなければ分からない。
そういったことを考えると、女子の浅田真央選手と村上佳菜子選手との比較も面白い。
しかし、日常的に「センス」という言葉を使ってしまうが、その正体は一体何なのか。
単独の能力ではなく、様々な複合体の能力なのか。
そんなことに視点は移る。
ジャズドラムの時も、「センス一発や」等と使い、武道でも「あいつはセンスが悪すぎる」と使い、表現ということで、ダンスや芝居でも「センス」の有無を語る。
もちろん、色々な解説文はあるが、それを読んでも何のことやらさっぱり分からない。
一体、何に反応して「センスの有無」という言葉を発するのだろうか。
科学や西洋は本質の周辺を歩き回るのが好きなようだ。

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