理屈なし

昨日、マスタークラスの稽古に行った時、頭が重たかった。
疲れが出たのかな、と思っていたが風邪だった。
気の緩みかな?だ。観に来てくれている人の中に、エジンバラで孤軍奮闘する清水宏さんの姿があった。
愚息が来年からエジンバラに挑戦するのに際して、色々なアドバイスを受けている。
清水さん(元山の手事情社)
http://ameblo.jp/hiroshimizuflamingcomedy/entry-11333897903.html
多分、今まで出会った人の中で、最も輝く目をしている人の一人だった。
「今時、こんな目をした人がいたのか」
と、思わず敬意の念を持った。
今回のバックダンサー達に対しての批判の言葉も多々あった。
しかし、それは見方が間違っているからだ。
もしも、既成のダンサー達を使っていたら、あれ程色の無い雰囲気を出せる筈も無かっただろう。
ずっと、個人的に練習を重ねて来た事を、舞台リハーサルに入ってから、全部無しにして、新たに稽古をしたのが、公演当日のものだ。
もちろん、完璧だということではない。
あそこが限度だった、つまり、皆の精一杯だったということだ。
昨年は精一杯にはならなかった。
精一杯の様なことをしたに留まった。
だから、色の付いていない人を探したのだ。
どんなジャンルでも、どんなことでも精一杯出来る人が良い。
理屈が先行する人は、面倒以外の何物でもない。
それは平岡さんにしても武田さんや高原さんにしても、理屈が先行しない、という点で共通する。
ある意味、それが合言葉だ。
高原さんに至っては、指示したのは一言二言で、後は私がこんな雰囲気で、と見せただけだ。
だから、舞台は全部彼女の即興だ。
理屈が先行しない、というのは、自分の中でテーマを咀嚼出来る、テーマを場にしたがって瞬間的に工夫できるということだ。
次は、平岡、武田、高原、もう一人で何か作りたいな、と創作意欲が湧いて来た。

Follow me!