明日から「武禅」
東レが開発した炭素繊維は、何と40年だか50年だか前から開発していたものだそうだ。
同じく海水を真水にするフィルターも、同様の年月を要している。
気が遠くなるような話だ。
開発した人は「深は新なり」とおっしゃっていた。
まさにそうだろうと思う。
一つのことを徹底的に掘り下げていけば、どんな宝が出てくるか分からない。
もちろん、いくら掘ってもガラクタしか出て来ないことの方が多い。
多分、その場合は、深く掘り下げているのではなく、並行に掘っているのだろう。
それに気付かないだけだ。
こういった開発は実験と検証を経過するから、正誤が良く分かる。
その実験と検証という考え方を持たず、ただ掘り下げるだけであれば、並行か掘り下げているのか分からなくなるのだ。
匠の世界も同様だ。
まさに40年50年という年月をかけて、ヒヨッコの自分を匠という技術を持った人間に変化させたのだ。
芸の世界も同様だ。
その年月が「深は新なり」という言葉を生み出す人間を作ったのだ。
もちろん、単なる年月ではない。
失敗というリスクを背負った年月だ。
明日から「武禅」だ。
実験と検証、そして失敗をしなければ分からない、という考え方を持って貰うのも目的の一つだ。
人は失敗を嫌がる。
だから前に進むことが出来ない。
失敗は多くの事を教えてくれる。
もちろん、教えてはくれない。
何を学び取るか、何を学び取れるかだ。
という考え方は養わなければ育たない。