三歩歩いたら忘れるけど
アムステルダムの一日目は終わった。
胸骨から膝と、胸骨から手首への連関をした。
バレンシアにも参加してくれていた、青年は勘が良く何度か繰り返す内に、出来るようになっていた。
Amyに「彼は良い」で、というと「分かる、昨年から気が付いていた」と言っていた。
外国での稽古では、何時も日本との違いを発見する。
今回は、私の身体へのアプローチ方法について、皆は「違う方法」だという認識だ。
もちろん、違う。
しかし、それは単に平面的に違う、ということではなく、深さや高さが加わったレベルが違うということだ。
だが、どうもその点の認識は無いようだ。
それを考えていくと、人にはレベルがある、あるいは技術にはレベルがある、ということが分からない、あるいは、無いということになる。
例えば「君はこれに初めてトライしているのだから、出来なくて当たり前だ」というと、しばらく沈黙して「そうか」と反応する。
この間の「間」は、この考え方を持っていないから、考えて繋げているということだ。
もちろん、それは日本人でも同じ事がいえる。
レベルが分からないというのは、価値が分からないということに等しい。
不幸な事だ。
人は決して同じレベルではない。
そのレベルは、それぞれの人が形成したものだ。
だから、そのレベルに敬意を持てるのだ。
もちろん肩書ではない。そのレベルを見分けられないのは、不幸としか言いようが無い。
で、方法が違う、というのは、完全に視点が違うということであり、その視点はレベルが生み出すものだから、「違う方法だ」と言っている頭に固執する限り、理解する事が出来ない。
外国では、思いもよらぬ言葉を聞けるから面白いし楽しい。
そんな時にだけ、一寸位外国語を話したいと思う。
もちろん、3秒もするとそんなことはすっかり忘れている。
鶏状態が私だ。
11月29.30日
埼玉・彩の国小ホール
開場19時00分開演19時30分
http://www.real-contact.jeez.jp/index.htm