幻想をあてはめている

本のタイトルに興味が湧き手に取ってみる。
目次を見て、あれっ、もしかしたら、私自身が考えていることと似ているのでは?と思いその本を買う。
読めば読むほど、同じようなワークをしていることに嬉しくなる。
そして、本人と会ってみたくなる。
色々と調べたら、近々に講演会が大阪であるという。
知人を誘って会場へ。
本人登場、あれっ?本に書かれてあることと、本人の印象が違う。
声が違う、姿が違う。
それでもこちらの理解力が悪いのかもしれないからと、ワークのある日を探す。
のぞいてみると、やっぱり会場での印象が当たっていた。
そうか、やはり文章が上手だっただけだった。
そんなことが常にある。
ものを書く人、という認識を持たなければ駄目だった。
しかし、逆に人はみかけによらないものだ。
印象としては最悪でも、凄い人は山ほどいる。
つまり、自分自身の持つ、印象を決定つける過去の体験や、判断力を正しいとしてしまっているだけだということだ。
それでも、印象の通りという事も山ほどある。
「しかし、違うかもしれない」という言葉は、何時の時点で発動させればよいのだろう。しかし、しかし、そういったことをじっくり考えると、単に自分の欲や希望にそった誰かを見ているだけであって、その人を見ているのではないということだ。
自分の欲や希望通りの他人等いる筈もない。
それは、私自身が作り出している幻想に過ぎないからだ。
自分の作り出した幻想に合うとか、合わないで他人の価値決定をしているのはおかしいだろう。
そんな突込みを時々入れる。
そのおかげで、若い時と比べて幻想を持つことが少なくなっている。
それよりも、実際どうなのか。
そこだけを見るようになっている。

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