昔話は別次元?
ミラノ在住のデザイナー、小川智子ちゃんと連れだってセントジェームスへ行った。
田中さんも智子ちゃんのことを覚えていて、話は盛り上がった。
ドラマーは、金子敏男さん。
その昔、金子さんが西宮にあったジャズラウンジでプレイしていた頃、よく聴きに行ったから、凄く懐かしい。
と田中さんに言うと「それって、ほんまに昔やな」と、何やら「昔」に田中さんは引っ掛かった。
昭和27年に、岩国にあった米軍基地のバーに、2年間演奏しに行っていたと田中さん。
「その2年間は物凄く勉強になったんやで」
それは、金曜日はいわゆる普通の兵隊。土曜日は軍曹や曹長クラス。日曜日は将校相手のクラブ、と演奏するところが違ったそうだ。
いわゆる兵隊のところでは、ビーバップ。
曹長クラスでは、スイング。
将校クラブでは、静かなバラードなど。
その弾き分けと、それぞれのところでのリクエストに応じることが、勉強になったそうだ。
大阪駅から汽車に揺られて6時間。
大きな空のボストンバックを持って行き、帰りは米軍がくれる煙草やチョコレートや、見た事も無い缶詰他で満杯だったそうだ。
私が4歳の頃、田中さんは大学一年生で、岩国の基地でジャズを演奏していた。
何だか、別次元だ。
智子ちゃんはミラノ生まれのミラノ育ちだから、戦争の話や、ジャズミュージシャンの事は知らない。
「子供の頃、航空母艦から飛んでくる飛行機に狙われたことがあるで。子供やと分かってんのに、狙って来よった。機銃掃射をしよるから、田んぼの横の溝に飛び込んだら、一緒にいた友達の姿が消えてた。えらい向こうの方に飛んでしまってた。」
そんなリアルな話に耳を傾けながら、まったりとした時間は流れていった。
こういうことを体験した世代の話を、我々世代はまだリアルに聞けるが、それ以降の世代には何の現実感も無いだろう。
話の内容よりも、その空気感から得る何かは、確実に失われていく。
帰り際、金子さんが私に声をかけてくれ、
「あの日野さん?」「はい、あの日野です」大爆笑だった。
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
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