今日から
舞台ダンサーにとっての、必要な能力とは何か。
今回の安藤洋子さんの公演のお手伝いは、改めてそのことを考える景気となっている。
私のワークショップの「表現塾」で展開する、様々な難しい練習は、舞台人にとって必要不可欠なものだと痛感している。
だからそれはもちろんのこと、日常生活にとっても必要不可欠なものだということだ。
観客からどうみえているのか、他人から自分はどう見られているのか、他人が感じ取れるようにしているのか、他人が理解できるように話しているのか等々。
いくらでも、日常と舞台の接点はある。
それはもちろん武道とて同じだ。
つくづく「関係性」なのだなと思う。
独りよがりではどうにもならない。
「自分は行っている」と「相手に対して行っている」は、全く違うものだ。
もちろん、その相手をしている人に、そのことを感じたり、見抜けたり出来る能力がなければ同じなのだが。
しかし、そんな鈍感な人間だけには成り下がりたくは無い。
そんな鈍感な人でも敏感になれる。
大方は知らないだけだからだ。
昨日は、ゲネだった。
それを見ていて、あるい人は、「もう少し長く」と言い、ある人は「もう少し短く」という。
もちろん、人それぞれだから、それがどうこうなのではない。
大事なのは、どの視点からの意見なのか、だ。
その視点から見れば、人それぞれ等どこにもない。
視点のレベルや立っているところが違うだけだ。
人と人が出会うというのは、多くの精神的リスクを伴うものだ。
それは、お互いに自分の枠を乗り越える、ということだからだ。
しかし、実は精神的リスクと書いたが、それは枠の中からの視点であって、客観的視点では無い。
だから本当は、リスクなど何もない。
にも拘らず、人間関係が苦手と言う人が多すぎるのはどうしてだろうか。
幻の傷を隠す包帯を、幾重にも重ねているからだ。
人は何時、その傷は幻だと気付くのだろう。
気付いているのだろうが、傷がある方が楽だから見ないようにしているだけだ。
だから、永久に免疫など出来る筈も無い。
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
https://www.hino-budo.com/
ゲネでのライリーと安藤洋子さん
リハーサルでの島地君と安藤さん