いじめ

またいじめが問題になっている。
今回は加害者を刑事告訴したが、教育委員会や学校側は、相変わらずだ。
以前、中国で列車が脱線し、直後に埋めようとしていた事がバレ、世界的にパッシングを受けた。
それを笑えない国になってしまっている。
しかし、何時もこういったいじめが問題になった時、不思議に思うのが親の事だ。
どうして、その子の変化に気付かなかったのか、ということだ。
親であれば、常に子供の言動に注意を払っている「筈」だ。
もしその変化の兆しが見えた時、子供を問い詰めてもきっと何も話さない。
だから、徹底的に観察する必要がある。
そして、何らかの手を打てば良いのだ。
手を打つというのは、例えば学校に話をすることだ。
もちろん、学校はそれを聞き入れたとしても、何も手を打てない。
しかし、諦めずに毎日学校に通えば良いのだ。
しかし、先生方も親と同じで、子供の何が変化したのかに気付くはずも無い。
だから、手を打てないのだ。
つまり、全てが単なる正論を展開しているだけで、実際に親は子供に注意を払う、大人は子供に注意を払う、という基本的な姿勢が欠落していることに対して、何一つ手を打っていないし、自覚すらない。
そして、いじめに屈しない強い子供に育てる、という基本的なこと、いじめられたら、その学校を辞め転校したり、学校に行かないという選択肢もある、という自由な発想の出来る子供に育てていない、という人を育てることの、基本無視の体質だからどうにもならないのだ。
そうなると、法や条例を作り、色々な意味で社会をがんじがらめにしなければならない。
度々ブログで触れているが、愚息も小・中学とほぼ学年全体でいじめにあっていた(28.9年前から)。
しかし、それにはめげない子供に育てていたから、そして、子供の変化に気付いていたから手は打った。
もちろん、学校に何か出来るなどとは、チリほども思ってもいないし期待もしていなかった。
そんなことは当たり前だ。
ただ、山奥なので転校など出来なかったし、そのいじめられていたというのも、自分が親になった時、なんらかの糧になるかもしれないと思ったのだ。
当たり前のことだが、サラリーマン教師に、子供の何かが見える筈も無いのは百も承知だ。
今ではそれは笑い話で、愚息にとっては単に何の面白くも無い小・中学生活だっただけだ。学校教育というものが、本当に必要であるなら、文科省は基本的なことをもっともっと考えるべきだ。
でないと、法律がなければ何も規制できない、ボケた人達で溢れかえる日本になるだろう。
7月28.29.30日沖縄ワークショップ
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
https://www.hino-budo.com/

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