あれこれ

俗に言う「運動神経が優れている」ということに気付いたのは、私は小学校5年生辺りだった。
と昨日大阪の稽古を終えての食事の時の話だ。
気付いたのは、鉄棒で飛行機飛びで、多分クラスで一番飛べたからだったと思う。
どの辺りで手を離すのが一番飛距離が出るのかを、散々工夫したのを覚えている。
この頃から少しずつ、身体を動かすのが得意なのかも、と思い出した。
しかし、当時は自転車小僧だったので、一人で自転車に乗り、天王寺から堺や生駒、京都へと、知らない街を目指し連日走っていた。
その事の方が楽しかったからだ。
そのことだけで言えば、ネットの普及で世界中見て回ることが出来、ネットの動画や写真を見ることで、行った気にもなれる。
そんな事が、好奇心を薄れさせているのかもしれないし、逆に知ることで「行って見たい」という好奇心をかき立てているのかもしれない。
私の時代には、当然そんなものもないし、テレビもまだお金持ちの家にしかなかった。
私の家には真空管のラジオしかなかった。
だから、一切の情報を持たずに飛び出す。
家から学校、あるいは、親と行ったところ以外は未知なる世界だ。
何も分からない、何も知らないということが、私の好奇心をどんどん膨らませてくれたのだ。
当然、学校へ行くよりも、友達と遊ぶよりも面白い。
だから、学校をサボってはどこかの街へ自転車を飛ばした。
そんなことが、中学になって器械体操を始めた時に、下半身のバネとして役立っていたのだ。
この自転車小僧の体験が、原因と結果という点から点ではなく、つまり、天王寺から京都という点から点ではなく、その過程、その道中の楽しさや不安を味わえる楽しさに、意味を見出すことを教えてくれたのかもしれない。

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