あっそうか3

武道の稽古でも「あっそうか」は多い。
特に外国の人達は「あっそうか」や「分かった」が得意だ。
「分かってどうするの?」
と何時も聞き返す。
あっそうかで気付いた事を常に使えるとなるには、どれほどの年月がかかるのかは分からない。
その人の練習量や練習の質、そして身体感覚と比例するからだ。
だから、途中で投げ出す人が大半だ。
となると、前にも書いた事があるが、「時間は残酷だ」が目の前に現れる。
例えば、10年という時間が経っていたとしても、当たり前の事だが途中で投げ出した事、忘れてしまった事が実現されていることはない。
「あっそうか」等、一寸機転のきく人なら連発する。
ただこの「あっそうか」でも、今新しい事を習っての「あっそうか」と、新しく習った事を練習しその末に見つけた「あっそうか」は全く違うものだ。
当然、後者の「あっそうか」であって欲しい。
東京教室の古カブ達は、今日はしこたま腕や胸にあざを作っている。
昨日、一寸だけハードな練習をしたからだ。
肩が上がらない程度の。
そんな練習をどれだけやって「あっそうか」を得る事が出来るかだ。
こんなことは、時代がいくら変わっても、科学がいくら発達しても、身体をいくら分析出来るようになっても変わらない。
つまり、身体はそういった環境の進化とは何の関係も無い「自然」そのものだからだ。

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