勝手に拘っておけ

友人の歯科医のところに行くと、治療が終わったら一緒に食事に行く。
歯科医の彼は、蕎麦にはうるさいということが分かった。
携帯に全国の拘りの蕎麦屋を放りこんでいるからだ。
「今日は、一寸面白い蕎麦屋へ行こう」
ということになり、彼の昼休みに自動車を飛ばして隣の街までいった。
しかし、時間は昼時だから一杯なのでは、と内心心配していた。
その街は、今ではシャッター商店街になりガランとしている。
ということは、店も空いているかもしれない。
店の表は、今風に少しこじゃれた和風だが、中に入ると別段こじゃれてもいなかった。
このバランスの悪さは、大した店では無いということだ。
店に入って驚いたのは、客がいないことだ。
この昼時に客がいないというのはどういうこと?
もちろん、見たとおり商店街は閑散としていたが、会社が無い事は無い。
にもかかわらず、客は私と彼の二人だけ。
若い店主がお茶を持って現れた。
「今日は、どれにしましょう」
私は、分からないから彼に注文を任せた。
彼がオーダーを考えていると、その傍で店主は、蕎麦の講釈を始めた。
やれ、どこそこ産の蕎麦粉を使って、何日熟成させ等々。
私は何のことやら分からないので、一生懸命講釈を垂れている店主を見ていた。
彼も、ニコニコ笑いながら
「分からないから、お薦めはどれ?」と聞いた。
「それでは、今日は…」しばらく、蕎麦の説明や出汁の説明が続いた。
彼は私の顔を見て「面白いやろ」と、小さな声で囁く。
私もニッコリ。
そうか、面白い蕎麦屋の面白いというのは、こういう事か。
店主は一仕切り話し、満足したのか調理場に引き上げ、注文の品に取りかかった。
蕎麦に拘っているかもしれないが、調理人、料理人、商売人としては素人だ。
「大丈夫か、この店」
「知らんけど、俺が昼に蕎麦を食べに来て、他の客と会ったことがないで」
店主が蕎麦にやたらと拘っているのはよく分かる。
しかし、客としては早く食いたいのだ。
遅い!!
お金を払ってくれた彼に「いくら」と聞くと
「二人で4,000円程や」
「ゲェ~、たかぁ」
別の日、車で結構飛ばして名物の蕎麦屋へ行った。
奥さんらしい人がお茶を持ってきてくれた。
例によって「お薦めはどれですか?」と歯科医の彼が聞く。
「季節が季節ですから、今なら…」
奥さんが講釈を垂れ流していた。
注文が決まり奥へと引っ込んだ。
すると5,6人のグループが店に入って来た。
奥に引っ込んだままの奥さんは、当然気が付かない。
グループはしこたま話が弾んでいた。
奥さんは我々に出す蕎麦の具を持ってきて、そのグループに気付いた。
注文を聞くのかな、と思っていたら、何も言わずにさっさと奥に引っ込んだ。
注文をしようとしていたグループは、ポカーンとして奥に引っ込む奥さんを見送った。
次に出て来た時は、こちらの蕎麦を持ってきた。
また引っ込んで、今度はお茶を持ってきて注文を聞いた。
「ざる蕎麦」と一人のおっちゃんが注文。
すると奥さんは
「まだざるの季節ではありませんので、今は…」延々と講釈が続いた。
グループは関西の人では無いようだ。
その話を遮らないからだ。
講釈が終わってやっと注文。
私達が食べ終わった時、奥さんが出てきて注文の確認をグループからとった。
グループは全員顔を見合わせ…。
奥さんが引っ込んだ時一言
「今から蕎麦をうつのと違うやろな」
その言葉に、私達二人は大笑いをした。
拘るのは結構だ。
しかし、それを食べるのは客だし、基本的に客商売だ。
そこをすっ飛ばしている店が多い。
アマチュアなのだ。
関東の人間なら講釈が好きだから上手くいくだろうが、関西では無理だ。
「ざる蕎麦一丁」
「はいよ、……はい、お待ち!」
このノリが関西だ。
ここも高い。
遅い。勝手に拘っておけ!

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