等身大の言葉の数

先日アップした動画の、小学2年生と5年生の子供達は、子供らしい子供だった。
http://www.youtube.com/watch?v=Cgzt4d6Yozg&list=UU7g40cMJud_NEShRlwNicyQ&index=1&feature=plcp
それはどうして?と原因を考えてみると、等身大の言葉数しか持っていないことと、好奇心が旺盛なところだろうと思う。
私の愚息も、その意味では子供らしい子供だった。
今のやたらと言葉数の多い、説明の言葉を沢山知っているこまっしゃくれたガキではなかった。
言葉数が少ないことは、ある意味で気がかりでもあった。
山の中とはいっても、テレビで育っている子供、大人の中に入って育っている子供は言葉の数が多い。
その連中と比べて、一寸言葉数が不足かな、と思っていたからだ。
しかし、だからどうしようとは思ってはいないのだが。
愚息も成長につれ言葉の数も増え、今では大学生にワークショップを開く程になっている。
そこで、子供の持つ言葉という事をざっと考えてみた。
等身大の言葉と、過剰な言葉。
それは成長するに連れ、どちらも増え続ける。
その時に、自分の言葉と知識、大人から仕入れた納得説明言葉の分別が出来ない状態になるのではと推測する。
それは同時に、他人の話す言葉の分別も出来ないということになる。
子供の頃の等身大の好奇心の旺盛さは、言葉での説明により、体験を伴わない言葉で了解してしまう、納得してしまうということで退化していく筈だ。
Youtubeにアップした動画を、東京の生徒にやらせてみたら、やはり出来なかった。
説明がやたらと必要なのだ。
小学2年生に説明は無用だ。
やってみせて、体験させて、それだけだ。
子供には出来て、大人には出来ないのだ。
きっと、この子供達の好奇心の旺盛さが、高級なこの技術をマスターさせたのだ。
2年生の方が、私と組んだ状態で動かなくなる。
よく観察していると、頭の中でイメージが動き回っている。
決して説明の言葉では無くイメージ(動画)だ。
大人はイメージでは無く、言葉を用いる。
だから、言葉の隙間に限界が現れ出来ないのだ。

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